わたしとメゾンブックガールとSolitudeHOTEL(20.1.3)
夢からさめてこそ、夢は夢だと認識できる 夢の中だけでは生きてはいけないから、夢を守るために目を覚ます ・・・とかいう夢をみる
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他者に、ましてや関係者や本人たちに見せられるようなものではないけれど、
私にとって大事なMaison book girlについて、
単なる一つの音楽グループではなくたくさん想うことがあって、少し書くことにしてみた。
(そうしているうちに、SolitudeHOTEL∞Fのチケットはソールドアウトし、年は明けて、数日後に控えている。ソールドアウトを心から嬉しく思っています)
(明けましておめでとうございます!!!!!)
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メゾンブックガールに夢中になった。
それは2016年の終わりの冬だった。
人間関係も、仕事も、自分のコントロールも、何もかもがうまくいかなくて、
憂鬱で、一人になると自然と涙が出てきてしまうようなその頃。
ある日、
もう暗くなりはじめた16時、会社で座っていることが苦痛で仕方なくなった。
急ぎの用事でもないのに、"調査”とかかこつけて、
ホワイトボードに「外出 (次回出社:翌日9:00)」と書いてでかけた。
都心から電車で2時間程度の、すこし離れた街にむかった。
電車に乗ってイヤホンをつけたけれど、
今まで聞いていた音楽たちは耳にも心にもなじまなかった。
登録したばかりのApple Musicを開いた。
少しまえにyoutubeでMVをみてみたけど、よさがあまりわからなかった、
メイソンブックガールの曲を再生した。
どのアルバム・EPも、
シンプルなジャケットに白抜きのロゴが飾ってあるだけだった。
最初からグっときたわけでもなく、
オッ!っとなってわけでもこれはッ!?となったわけでもなかった。
「普通の拍子じゃなくてなんかよくわかんないし、やりすぎでは?」
そう思った。
でも何かを探して変える気力もなく再生し続けていると、よくわからなかったので、
「4+4+4+5で一周するのか」「ここで4拍子ね」「これは3+4拍子・・・」
と拍を取ることに集中して聞いた。
すると、街についたときには、商店街を歩きながら、
「ハイ!この曲はここでサビ前に5拍入ってから4拍子〜!」
とか、太もものあたりを手のひらで軽く叩きながら、わかった気になって聞いていた。
なんだかちょっと元気になった。
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翌朝の満員電車
はじめは耳になじまなかったマリンバやストリングスの音もすっかり馴染んで、心地よい音となった。
次々と、なんだか解析するような気持ちで聞いていた。
そこで再生された「14days」という曲。
これまでで聞いたことがないものだった。
ポエトリー・リーディングとしても、毛色がちがう。一言でいえば、気味が悪い。
ゴォォ・・・と風が部屋を通り抜ける音、ドアを開ける音、ドアを叩く音、畳み掛ける
「〜〜は、どこにもいない」
「〜〜は、どこにもいない」
「〜〜は、どこにもいない」
「真っ白な朝が来る」でくくられたその次には、その部屋に誰も人がいなくなったと思わせるようにインスト音源が流れ始める。
この流れに、朝の8時から鳥肌が止まらなかった。
そして、拍だけに集中していたほかの楽曲たちも詞を聴いてみれば、
その寒々しく薄暗い、叶わない、許されない、知らない、狭い部屋に充満した虚しさのようなものに、引き込まれていった。
これはもう、出会ってしまったと
思った。
(だから、わたしは14daysを、特別におもっている。)
ーーー
メゾンブックガールを毎日聞きいて、それ以外の時間は何もすることがなかったその頃、
ちょうどSolitude Hotel2Fのブルーレイ+faithlessnessが発売になるということだった。無料で見られるらしく、リリースイベントを見にいくことにした。
リリースイベントというものに行くのは初めてだった。満員で、後ろの方で待機する。
リリースされたというブルーレイは売り切れていた。
登場した本人たちの姿も見えなくて、腕の長いメンバーの腕だけがみえた。
拍遊びをするかのようなそのファンの手拍子を一緒にやって、音ゲーみたいでとても楽しかった。
いつも一人でやっている拍取りの遊びを共有したみたいだった。
いつもイヤホンで聴いてる曲が大音量で空気を伝わって、それに少し歌声が乗っていた。家で聞くのと違って面白かった。
だからまた、来ようと思った。
ーーー
ちょっと経って、imageというアルバムが発売された。これに伴って、またリリースイベントがあるということだった。
これも無料だということなので、暇な日に何回かいった。
何回か行って、特に雨の日はすいていて、とても視界良好にみれた。どんどん振り付けも覚えてきて、おちゃらかホイを一緒にやったり、一緒に指差ししたり、手を叩いたりして、楽しかった。
アルバムを買うと、別にほしいわけではない特典券とかいうものがついてきて、
恥ずかしくてなんだか迷ったけど、
faithlessnessの音源で歌声が仕上がっていて素晴らしいと思っていた和田輪さんと、写真を撮られる権利を行使した。
画面と舞台上でのキャラクターだと思っていた彼女はとても小さく、華奢で、目がキラキラしていて、そして、なんだかユニークな動きをしていた。こちらの声も聞こえて応答をしてくれて、いわゆる会話をした。
夢みたいな体験だった。
Solitude HOTEL3Fというワンマンライブがあるようで、自分の好きな赤坂BLITZでの開催だった。GWが終わったあとの平日夜だったけれど、行くことにした。
ーーー
Solitude HOTEL3Fの当日
会社を早めに飛び出して、赤坂に向かった。
いろんな人が、ファン仲間なのだろう、ワイワイと話していた。誰のことも知らなくてちょっと肩身が狭いような気がした。
当日限定の、ドアが書かれたTシャツのデザインはとても好みで、"グッズのセンスがいい"とgoogleで上に来る情報なのは確かだなあ、思った。
不思議なbgmが流れていた会場に、
アルバム「image」のイメージを可視化させる本編がはじまる。
・・・
ライブが終わって、呆然とするほど、いいものだったと思った。
なにがどうよかったもうまく言い表せなかったけれど、
なにかに書き起こしたくて、このブログを開設した。
レコード屋の特設ステージとは全く違かった。
舞台うしろのスクリーンも、楽曲のイメージを増強していた。
・・・当時の言葉を読み返していたら、大事なことを言っていた。
どんなアーティストでもそうだが変化は伴うのだ。いや、アーティストのみならず人は変化を伴う。変化しないのは在る楽曲。楽曲は死なない。
ーーー
・・・ここから私は、ブクガにのめり込んでいき、rooms、cotoeriをリリースしてSolitude HOTEL4Fに挑む彼女たちを見逃さないよう、生活の中心になっていった。
無我夢中だった。
ライブを見ては、自分にしかわからないであろう言葉で記憶を書き残すことが日課のようだった。メンバーたちと会話をすることも週に何度かあったし、他のファンの人たちの意見を目にする機会も増えた。
趣味が近いと思っている友人に勧めたら、友人も無我夢中になって、お互い連絡を取らずとも会場で出くわすくらい、互いに通いつめた。
ブクガのライブをみているときは、自分の身体や自己意識を失いたくて、ブクガの歌うその世界観にただ溶け込みたいと思っていた。
何も語られていない楽曲の意味を、
ライブ毎に自分の中で物語として組み立てた。
希望を持ちながらも必ず訪れるその悲しい結末に、喪失感を抱いていた。
それが、好きだった。
ー
4Fは年の瀬。世間的には仕事納めである日に、ゼップダイバーシティ東京で行われた。
約半年前から開催が決定していて、その間、ライブの度に告知をしていた。
来てください、来てください、と毎回いっていた。
絶対に見ないと後悔します、伝説のライブになります、などと。
自分も、なんとか広めたくて、努めてみたけれど、残念なことにソードアウトはしなかった。
けれど彼女たち史上で一番大きいステージで、輝かしい姿がみられるのだろう。
しかし、その認識はすこし違っていた。
圧倒的に、想像を超えた伝説のライブだった。
タイムリープを体験する、時空を超えた、
もう二度と体験することのできないライブ。輝かしさとは違う。
この日のライブの映像は、公式にyoutubeでもUPされているし、アマゾンプライム・ビデオでも無料で視聴することができる。
(youtubeは4動画に分割。映像が切れないので、がっちり見るならばアマゾンを推奨)
Maison book girl “Solitude HOTEL4F” 20171228@Zepp DiverCity TOKYO - Ep.1
ただし、
いくら画面の中でみても、それは終わった内容で。
あの緊張感、永遠に終わることがなくこの場所に閉じ込められてしまうのではないかという不安感、静寂の中での暗闇、突き放された感覚、自己感覚のなさ
あれは、あの日、あの時間、あの場所にいなければ実感することはできない。
(また、ライブ映像では歌声が実際に聞こえているものよりもフラットになり、なんだかオケの声と歌声がそれぞれ別に聞こえる感じがすると思う。それに途中まで同じ内容を見ることになるので、退屈になるかもしれない。)
メゾンブックガールの館であるSolitude HOTELはそういう場所だ。
その日時に居合わせなければ二度と味わえない。
しばらく、もう何がなんだかわからなくて、ただそのときのことを反芻した。
いまでも、4Fのことを思い出す。
ーーー
3Fを目にしてから約1年間、
計75公演ほど、メゾンブックガールを観に行った。
そして、5F。
念願の、初の着座でのSolitudeHOTEL。
初めて来た人、曲を聴きに来た人、ダンスを観に来た人、ブクガを観に来た人、誰も置いていかない(全員置いていく)ステージだったように思う
メンバーのステージ力は着実に向上していた。
音源と一緒に歌うことは「過去の自分と今の自分の共演・融合・葛藤」だと思って聞いていたので、
そのままでも好きだったのだが、ブクガは、肉声で歌うようになった。
閉じ込められた箱でループしているようにみえた世界は、
着実に広がっていて、終劇時に白い鳥が飛び立っていったことは今後を予感させた。
ブクガは、より劇的なライブをするようになった。
ーーー
その後、2018年の夏、わたしの中のなにかの糸が、なにかに引っ張られて、細くてぼろぼろになるようだった。自分の中のなにかが変わらないといけないような状況に立たされて、それまでの向き合い方ができなくなってしまった。
それは、ステージに対して孤独感を持って見ることができなくなったり、そもそもその孤独が自分の人生を救うことができないのではないかという疑問であったり、
なんだかそういうものがあって、それまでの関係性とは、少し変わってしまった。
ライブに行くことが減り、
リリースされたアルバム「yume」が手元に届いて、
CDではじめて曲もあった。
再生して、驚いた。
インストで挟まれた完成されたコンセプトアルバム
まさにメゾンブックガールの世界の集大成のようなものが産み落とされていた。
大変なことになっていた。最高傑作だった。
ーーー
そしておこなわれた三部構成のSolitude HOTEL6F,hiru/yoru/yume。
hiru/yoruは同日に行われた。
昼と夜で光と影を見せられたようだった。
今回の公演は、「yume」ではない。「hiru」と「yoru」
〜〜〜そもそもメゾンブックガールは永遠に抜け出せない夢の中のようだと思っていて、そのセットリストを毎回夢のストーリーとしてなぞらえて観てきた(だから何回も何回も「よく飽きないね」という言葉がお似合いの状況でもみてきたのだ)。繰り返してみる夢だけど違う物語。だから今回のアルバムは余りにもメゾンブックガールとしていよいよ自覚を持って出してきてしまったというか、そのユメのテーマについて取り上げてしまうのだな、となぜかこちら側が緊張を感じてしまった。
〜〜〜「yume」公演で何が起こるかが怖くて仕方ない。
その恐怖に対するアンサーが3週間後のyume。アルバムタイトルを掲げたステージ。
yumeはfMRIで脳を覗くような形で夢をみてなぞっていき、そして夢で終わって幕が閉じていった 。
〜やっぱり想像をつかないことをしてくれるのがメゾンブックガールだった
MCも一切なく、我々の意識と交わすこともなかった
〜わたしがずっと観たいものだった
息を飲む最高のステージだった。
ブクガの作る世界観をただみせつせられて、こちらのことはみえていないようだった。
4Fはいつまでも記憶の中で至高の、伝説のライブであるけれども、
このyumeはまた最高級のライブであり、
クオリティをとってもこれを超えることができるのか?と思わざるをえなかった。
メゾンブックガールの世界として永遠に続く。永遠であるからこそそこで完結したものだった。
このライブの開演が18時だったのだけれども、開始25分後、自分の脈拍は異常をきたしたようで、AppleWatchが心配してくれたのが今でも記録に残っている。
もうこれで、終わってもいいくらいだと思った。
ーーー
それからほとんど、メゾンブックガールのSH以外のライブに行くことはなく、
すぐに7Fがやってきた。
こうも通常のライブを見に行かずに次の階に赴いたのは初めてだった。
7F前にリリースされた「SOUP」というシングルは、「鯨工場」と「長い夜が明けて」という楽曲が収録されている。
はっきりといって、これまでのブクガの世界観にはなかった、新しい世界がみえていた。
「今までどおり無機質で、ブクガっぽい曲!」と思う人もいたかもしれないけれど、自分にとっては明らかに違っていて。
「僕らの唄はどこに届いているんだろう」から始まり、海を泳ぐような姿をみせる歌詞もさながら、完全に夢をみていた自分に気づいて、泳ぎ始めていた。
「本の家の少女たち」という客観視が象徴的だ。意識から離脱している。
yumeから3曲しか追加されていないというのに、明らかに、これまで以上に、情景は外に向かって広がっていた。それほどSOUPは影響を与えた。
ライブ映像を比較してみれば一秒でわかる程度に、メンバーの歌唱力と身体表現力の向上は著しく、3Fや4Fのときとはもはや別人である。
より磨き上げたステージに、純粋に楽曲を楽しむ気持ちとエモーショナルなステージへの感動は限りなかった。
裏腹に、自覚を持ってもがき、叫び、涙する姿は、愛した「夢の中で憂う少女たち」とは変わっていた。
置いていかれたような気持ちもあった。
置いていって欲しいと願っていたのにワガママな話だった。
ーーー
2019年の夏、
わたしはブクガと向き合いたいと思っていた。
彼女たちは以前にもまして精力的に活動している。全国を飛び回り、ひっきりなしにライブを行なっていた。
ライブハウスツアーの関東圏や、あいちトリエンナーレでのステージに足を伸ばした。
リリースされたシングル「umbla」*は曲調が進化していた。曲調もギターが象徴的な闇色の朝、音数の少ないシルエット、かっこよかった。*[elude]と誤表記していたため21年4月修正
SOUPとはまた異なる形で世界を広げていた。
ここでも、これまでの自分たちを振り返るような振り付けであったりと客観視を感じる。
ライブステージを見ると、めきめきと上達する表現力には7Fや少し前ともまた別人のようだった。
また、秋以降、彼女たちのMCでは毎度、心に来るものがあった。
自分の感じたい気持ちと、実際に感じる気持ちとのギャップが広がり、良いライブだったと思っても毎回なんともいえない気持ちで帰宅していた。
VJ、照明とタッグを組んでステージの魅せ方の進化まで圧倒的に見せつけたライブの終盤、
コショージさんから、「メゾンブックガールとは」、について考えたことを聞いた。
『Pick Ups! -Maison book girl-』未公開シーン
— Maison book girl NOW OFF AIR! 【番組公式】 (@maisonbookgirlp) 2019年12月28日
「9.22 スペシャルライブ@WOMB 未公開MC」
番組本編はこちら https://t.co/190VbtGtBT
ワンマンライブ「Solitude HOTEL ∞F」
2020/1/5(日) 17:00 START
LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
チケット販売中 https://t.co/jhIjaqRgcz#ブクガ #mbgpups pic.twitter.com/7clArmER4N
〜〜聞いてくれてる皆の、影みたいな存在じゃないかと思ったの、メゾンブックガールが。実在はしてないけど、なんていうんだろう。なんか、つきまとってる、みたいな、なんか寄り添っている感じ?かなあと思って。
〜〜みんなの影が集まることによって、うちらがこう召喚されてライブができてる、みたいな感じがした。
〜〜ライブのときだけは、影ではなくて、光になれたらいいな、って思います。
なるほど、と思った
影が集まって光が召喚される
なるほど、と思った
その後、アルバムとSH∞Fの発表があり、ソールドアウトにかける思いを聞いた。
その後、
発表された新曲で断片的に聞こえた歌からは
「もう一人じゃない」
と聞こえて、衝撃を受けた。もしかして、光の側面が強すぎて、いつのまにか、私の影にはならずに、ただ、光として照らすような存在になっていたのだろうか。影と光で、1人でいたかった。
いろんな想いが駆け巡る。
よりメゾンブックガールに向き合いたいと強く思い、予定していなかった浦和公演も行くことにした。
ーーー
後日、はじめて発表された新曲も、
とてもポップで、大人になったおもちゃが歌うような曲。
彼女たちは変わった。
それは彼女たちも言っていたことがあって。
変わってしまったけれど、変わらないことはできない。
それはそうだ。
私自身だって、当然に変わってしまったと思う。それは、変わろうと思って変わったことだってある。
「そして、僕だけがいないことに気づく」「そして、僕だけがいないことに気づく」「そして、僕だけがいないことに気づく」…
メゾンブックガールは、自意識を喪失したいと考えていた自分に心地よい理想郷のような世界だった。
でも、その認識は一方で誤りだった。
ブクガは、闘っていた。
変わってしまったのではなくて、変わることも含めてすべてがメゾンブックガールだった。
そのこともきちんと考えて、リリースされる海と宇宙の子供たちを聞かなければならない。
嬉しさと半面で自分だけが取り残されているような感覚を持ちつつ聴く新しいアルバムは、とても緊張した。
ー
19年12月18日
リリースされた海と宇宙の子供たちを聴いた。
涙が止まらなかった。
こんな気持ち悪い表現しか出来ずに申し訳ないが、通しで聴いてとにかく、これまでの誤解や疑心を恥じた。
SOUPやeludeに収録された曲群もこのアルバムに入ることでまた異なる顔をみせていた。
それは、アルバム曲たちが在ることで見せたものだった。
はじまる“風の脚”で幕開けし、一気に情景を描いて飲み込む。雄大な海と砂浜と空が広がっていて、誰かを想うような優しい風が漂う。
それに続く“海辺にて”で、そこに佇む少女が海の底に想いを寄せる。不安や恐怖もあるけれど、ライブで聴いたときに聞き落としていた「夢の中で離した手は そこに忘れ物しただけだったの」で既に、私の誤解に気づく。
渋谷センター街で初めて聴いた“悲しみの子供たち”はアップテンポで、変拍子。詞も少しダークなサイド...さらって、消して、1人きりで、泣いて、手紙も汚れて。もう光に向かう一方と思っていたら、それも多難で、波に揺れながら、もがいているんだと感じる。"悲しみの子供たち"は、"悲しんでいる子供たち"なのか、"悲しみが生んだ子供たち"なのか、"悲しみになるであろう要素たち"のことであるのか、それぞれあると思うけれど、この悲しみは、怒りに近いような悲しみであると感じる。…井上唯の声の出し方がこれまでと全く違うことにも驚いた。
“ノーワンダーランド”は初めて聴いたときのポップな印象よりも落ち着いて聴こえた。いつかはワンダーランドだったかのようでいながら突きつけるそれは「ノー」。微笑みながら涙を静かに流すようだと思った。光と影が交差する世界で、中立の立場にいるような曲だと感じた。
“ランドリー”はJ-POPのヒットチャートに入っていてもなじむ曲ながらブクガらしさは消さない曲。(10年前のニコニコ動画で500万再生を秒で達成しそうなぐらい、このリズム感と展開は人気を得ておかしくない。)ブクガらしさとはなにか諸説あるだろうけれど、リズム感、特にはサビの4人の合唱であったり、落ちサビの感じであったり。音楽的な知識が乏しいゆえ言及は避けたいけれど、乏しい者でも感じるブクガらしさは強く残されている。
そして、何よりこの状況だった自分は“LandmarK”に特別胸を打たれた。
記憶を誰かを追いかけるような歌、オクターブ上下2パートに分かれてうたうサビ。それはメゾンブックガールで今までに無かった新しい試み。それとは対照的に「変わらない 変わらない 変わらないで ずっと」「変わらない 変わらない 変わらないの 二度と」歌っていた。
変わらないからランドマークとして成立する、ランドマークとして成立させるために変わらない?何度繰り返しても、夢を見続けても、夢から覚めても、どこに失っても、ランドマークを探し続けたくて。
自分の認識がどこかで1人ぼっちになっていただけだった
メゾンブックガールはいつも何か探して動き続けていたし、常に変わろうと、結末を変えようとしていたんだった。自分は1人ではない、自分自身を1人として向き合い、抱きしめてあげるし、抱きしめてくれる、、、ようなことを試行錯誤していて。
勝手に置いていかれたなんて感じていたのは本当に勝手で。常に寄り添ってくれて、寄り添い続けるために、別々に変わっていったんだ。
気付かなくてごめんなさい。ありがとう。
ーーー
yumeでメゾンブックガールを象徴した次に、
海と宇宙に、(=新しい世界の)人々に手を伸ばして包み込み、夢の世界に引き込むような動きに出ていることがよく伝わったし、
これをきっかけにメゾンブックガールが人々の片隅に置かれる、もしくは骨の髄まで浸かればいいなと思う。
ーーー
Solitude HOTEL∞Fは、絶対にSOLD OUTして欲しい公演で、メゾンブックガールのことを自身の芯に思いすぎるのではなくて、外に開かせていこうと思い、周りの人にも出来る限りススメるなどした。
海と宇宙の子供たちが良い作品であることから、自分の周りの人たちも、数人来てくれることになりとても嬉しく思っていたけれど、それでもなかなか完売には届かせられず、もどかしい気持ちだった。
、、、
ついに、公演まで1週間を切った12/31、
チケットが全て、売り切れた!!!
彼女たちの願い、でありながら、最低限のライン。待つのは最高に違いないステージ。
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こうやって書いてみたら、よくも自分が「世界観」という自分でも咀嚼できていないものを信仰しているのだな、と思う。すごくふんわりとしている、自分の気持ち次第の抽象的なものだからこそ揺らぎやすい。
そうして自分の中に色々気持ちの持ち方が移り変わりがあったけれども、今、ブクガへの気持ちはとてつもなく膨れ上がっている。
これからも、いや、まずは∞Fに集中して、"ブクガの世界観"のオタクとして、奇跡を目撃する準備をしなければ。。。
そして今日はもう、2日後に∞Fを控えた1月3日になり、ソワソワしてLINE CUBE SHIBUYAの前をウロウロしたりした。
すっごく壁とか窓とかカワイイんだこれが、!
またも綺麗な新しいホールの特等席で、素晴らしいステージが見られるこの胸いっぱいの期待が、これ以上あるだろうか!
しかし、急にお腹が痛くなってきた。
∞Fが観られなかったら私はもう正気を保って2020年をやっていける気はしないし、なんの希望も失ってしまう。。。
いや、大丈夫大丈夫…
とにかく今は期待と気合で、あと2日。
もしも、夢の中でみたあの演出を観られる時があったら、運命だ。
光で、全ての影を優しく包み込んで。