おもちやけた

orokanaburogu

Solitude HOTEL 9F(21.4.2)

告知から約1ヶ月でやってきた突然の9Fだった。

2021 February 「Re:Fiction TOUR」

2021 March 「????????????F」

 12月にはこんな告知があったというのに、2月になってもなんの再告知もなく月末がやってきてそして「3月になる」。世の中を蝕むあいつが当たり前にいけないのだが、何かしら報告してほしくて辛い気持ちだった。延期することくらい言ってくれてもいいのに、誰も文句を言わないのに、と思っていた。

 

3月1日21時、決定の告知。

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とにかく決まったことは嬉しかった。???Fと言われていたホテルは、9Fだった。9Fのホテルというのは、約30m程度らしい。エヴァ(最小時)には満たないらしい。

場所はヒューリックホール東京。大好きな6Fyume公演がおこなわれた会場。

これまでのSHの中でもすごくいい心地のよい会場だったと記憶していて期待が高まる。

 

前回の∞Fからは1年と3ヶ月の月日が経っていた。

これまでは約半年間のぼれば到着した上の階にこんなにも時間を要して、なるほどタイトルの∞が伏線だったかのように思えた。

1ヶ月間ドキドキ・ワクワク…したかったが、自分が人生で一番忙しい状況であり、目が覚めてから眠るまでやるべきことに脳みそのリソースを割くしか無かった。全速力でやり遂げて一瞬のようだった3月が終わり、あっと言う間に4月になっていた。

(3月中に公演があったらきっと行くことができなかっただろうから、本当に危なかった)

 

そして4月1日に社内異動となり、全く別の職種となったが、早々の2日に午後休をもらっていよいよの時間に身を整えた。

前日まで、『ヒューリックホール東京』で開催されることは認識しながらも、なぜか渋谷に向かえばいいと思っていたので、前日に気づいてよかった。

というか全曲公演ってどういうことなのだろう、一部の曲は1分程度に抑えられていて、途中のインストで休息を取るということかしら、などど予想していた

当日

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YUMEを思い出す会場

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omochi-yaketa.hatenablog.com

 

真っ白な空間で水色の入院着の姿が思い浮かぶ ドアがあった
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会場に流れる心地よい音楽と心地よい座り心地で眠気が誘われる

その音楽のテンポは崩れ、音は割れノイズをまとうようで、これから始まる異常ななにかを予感させた

18時の数分前になると聞き覚えのある不規則で奇妙な硬いクラップ音

18時定刻にはその音が拍手となり暗転し、始まる。寒くも暑くもなかった。

「14日前」

14daysから始まる。

 

14days/a-shi-ta/雨の向こう側で/教室/まんげつのよるに/告白

 

恐らくこんな流れだったんじゃないかと思う。

舞台スクリーンには1秒に10枚くらい程度の高速で∞Fのスライドショーが流れる。朗読よりも スクリーンに釘付けになる。まさに走馬灯のように駆け抜けて、あのときの記憶が意識になだれ込む。9Fに来たはずだというのに、∞Fの一瞬一瞬の切り抜きが、あの曲のあのシーンだ、と感知すると次々想起させられた。

∞Fが終わると7F,6F…と過去に遡っていく。このときに朗読や、彼女たちの佇まいに集中することはできなかった。とにかく過去の記憶が駆け巡る。ステージだけでなく、SolitudeHOTELに紐づく記憶ーその日の天気、湿気、月の形などまで頭をよぎり、意識は9Fにはいなかった。

14daysから続いて、シングル曲のポエトリーのおそらくショート版がおそらくリリース順に読まれていき、スクリーンもいよいよ初期の、私の見たことのないMaison book girlが映し出されていた。このころには自分の記憶の想起はやみ、状況もわからず、ただその空間を眺めていた。

7日前、6日前、5日前、4日前、3日前、2日前、1日前、

 

 

 彼女たちは去っていき、暗くなる 

暗闇の中で耳元で囁くような声がする

 

…君はもうひとりの僕だったらいいと、思っていました。

…どこにもいなくても平気だった。…そんなフリをした。

「あの森で」「夢の中で」「水の底で」「雨の街で」「教室で」。

「「僕を見つけて」」「「本を燃やして」」?

 

non Fiction/Fiction

 

見慣れないFictionのパフォーマンスはエンディングのようで、これでもうお終いになってしまうかと思った。自分の感情を探すことなくただじっとステージを見ていた。

 

…柔らかい羽をもいだらきっと、君といた部屋に戻る

 最初の約束をした日 ずっと忘れない 晴れた日に

 

 

…思い出くん、思い出くん。

 

思い出くん/長い夜が明けて/ランドリー/鯨工場/LandmarK/シルエット/ノーワンダーランド/悲しみの子供たち/闇色の朝/海辺にて/風の脚

 

終わったはずのポエトリー・リーディングのターンがやってきて、∞Fで心揺さぶられた感情溢れるコショージメグミの表現と朗読。そうして長い夜が明ける。

どういう物語の道筋だろうかと考えていた。ランドリーのイントロが流れ、そのときに気づいた。時が逆行していっているのだと。初めにスクリーンで流れていたものは走馬灯のようにSHの記憶を逆行してなぞられていったけれども、この4時間(仮)、こうやってすべてのメゾンブックガールの楽曲をなぞられていくのだと、理解した。

海と宇宙の子供たちの楽曲の演出は∞Fを思い起こされるものが多かった。ランドリーはMV、鯨工場とLandmarKはバックスクリーンにその曲の風景が映し出された。大好きなLandmarKはやはり、大好きだった。交差する。「変わらない、変わらない、変わらないの、二度と。」

シルエットでは、4人の姿のシルエットが映し出されるのではなく、逆さまにうつった腕のようなものが細い人型白い影4体が踊っていた。宇宙に浮かぶ巨神と重ねて眺めていた。後半には、4人と、4人の大きな影が包み込むように一緒に踊っていた。その姿は美しく、彼女たちという光の存在と必然的にうまれるそれよりも大きな影との共生を思う。

ノーワンダーランドはあんなに練習してみんなで踊ってきたのに、彼女たち以外に踊っている人は視界に入らなかった。観客が誰もおらず、4人の舞台だけが世界に浮かんでいるように思えた。

悲しみの子供たちのサイケな映像は、既に∞Fの際の恐怖まで感じる存在ではなくなっていた。『海と宇宙の子供たち』とする楽曲群をそれとして連ねたるインパクト的存在。

続く闇色の朝もMVのアニメーション映像。ランドリーもアニメーション。メゾンブックガールの視界の不明瞭さは、海と宇宙の子供たちでは次元を潜っていたのだ(この後にアニメーションは出てこない)。_ではなく、時は止まらない。

鮮やかに晴れた夜からの海の底。アルバムを通しで聴く場合や∞Fでは海の底から始まっていたが、この順番で来ることでこれまで海の舞台を感じずに聴いてこれたことは新鮮だ。とにかく美しい、あおい海だった。とにかく海を見ていた。風の脚で閉じるこの章が美しかった。

 

暗闇

これまでが架空の脳内での体験であったかのように響き渡るMRI

 

fMRI_TEST(#1)/不思議な風船/GOOD NIGHT/おかえりさよなら/YUME
レインコートと首の無い鳥/ELUDE/夢/fMRI_TEST(#3)/影の電車/NIGHTMARE

十六歳/MORE PAST/rooms/PAST/ボーイミーツガール/MOVE/狭い物語

SIX/言選り/fMRI_TEST(#2)

 

fMRIの音に乗り込まれた空間は心地よかった。この音を聴きながら入眠していた時期があったので眠りに誘われてしまったが夢に入っていく準備は万全だった。yumeの視界の始まりは風船の記憶。実体を持たず愛おしさに満ちたの空気から始まるyumeの世界はいつもよりもあたたかいものになりそうだと思った。おかえりさよならで注がれる雨の音がいっそう優しく、過去と未来の彼女たちに手を振るような姿だった。青と赤で包まれる首を巡る儀式を見ると好きな気持ちが溢れて空気が冷たく感じた。本来であればYUME→おかえりさよならやELUDE→レインコートといったようにつながる曲たちが逆転しているために、曲が作り出した余韻が自然と空間に取り残されているようで心地よかったり、愛おしかったりした。ELUDEは事後のシャッター音で永遠に閉じ込められそうな感じがした。短めの脳波クラップを感じた途端に6Fyumeにいるような感覚になる。大きな会場で聞く夢は格別になる。

「一年前に 見失った声は 昼も夜も無くなって掠れた朝をみる」

MRI音からの突然の影の電車へのシーン切り替えに驚き、爽やかなイントロに興奮し、そして歌い出しに思わず目が潤む

…一年前に見失った声は 昼も夜も無くなって 掠れた朝を見る

…2月の声はいつも叶わないの 殺したはずの声、どこかで響いてる

…笑って笑って 枯れていく景色に 間違ったことも知らず、笑顔は消えてゆくの

メゾンブックガールのその世界は我々の次元とは別の世界であると思っているけれど、"一年前"のことを示唆して始まるこの曲はこの世界を含んでるようだった。

電車が止まると鼓動が聞こえ、交差する十六歳。この曲を聞くと、その場所にいるのでは無く、メゾンブックガールと一緒に駆け抜けた冬の日々を、どうしても思い出す。冒頭演出のフラッシュバックのように、己の脳内であの日のあの日の空気も温度も日差しも照明も笑顔も思い出す。

静かなピアノと歌声だけのMORE PASTも、月見ル君想フで聞いた歌よりも、随分と曲数もこなしていながらものびやかな声で歌っていて、知らない年月を思わされる。記憶はそのくらいでぼんやりしていて、ただ心地よい気分だった。roomsでもぼんやりした気分は続いていた。今思えば、久しぶりの静寂を集中して感じたいのだけれど、既に休み無く記憶の出し入れをしていて、このときは記憶を出して聞いていたんだと思う。休み拍が増えていくrooms__ではなかったことが私を4年前に連れて行ってしまった。

今度は鼻歌PASTでyumeに連れて行かれたと思ったらドアが開いて突然のボーイミーツガール。PASTの次にボーイミーツガールが来ることを構られず、姿勢を正す。寝起きで急に走り出すような感覚。体が動く。

いつも赤い世界を色のある世界にしてyumeを率いる狭い物語はここで登場。ここまで赤い世界に潜ってちたような感覚。黒いパジャマのような衣装ではなく白ベースで時を混ぜた衣装では赤に飲み込まれそうだった。

SIXで光のドア、吸い込まれ、言選り。言選りを聞くまで、yumeは狭い物語から始まっていたものだと思っていてはっとした。

 

///////と、ここまでで、はっきりした記録は途絶えていた−−−−−−−−

 

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-休憩-

衣装は変わっていた。時代の異なる人々の共演

 

opening/blue light/screen/karma/townscape/int

faithlessness/veranda/end of Summer dream/sin morning/ending

 

river/cloudy irony

 

empty/bed/lost AGE

 

water/last scene/remove/film noir

snow irony/最後の様な彼女の曲/my cut/bath room

 

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満足の気持ちで見れた充実の余韻と、SolitudeHotel(404)の告知の不穏さの余韻で、しばらくは9Fのセットリストを繰り返し聞き、歴代の曲への愛おしい気持ちに浸かっていた。image以降の記憶の記録をできておらず、やはり書き起こしておかないとそのときの感情が曖昧になってしまった。

たくさん書きたいことがあったのに、もう階層指定のないその日だ。

そもそも9F当日においても休憩後の楽曲たちはぼんやり眺めるようで、集中力なくただただ嬉しく眺めて体を揺らしていた。それ以外のこれといったその場の記録はできていなかったかもしれない。

言えることと言えば、image以降(以前)の曲は、踊るには舞台が狭いライブハウスで青や赤に照らされていたメゾンブックガールを思い出し、「私の愛したMaison book girlと過ごした記憶」が次々とやってきた。冒頭の走馬灯のような映像ではSolitudeHOTELのことを思い起こされていたけれど、後半ステージではじっくり1曲1曲で彼女たちと生きてその場所にいた時間を思い出していた。

cloudy irony1曲だけにしても、月見ルで、タワレコで、WWWで、MARZで、古代の湯で、LOFTで、FEVERで、屋上で、アリーナで、灰色の衣装で、黒衣装で、白衣装で、紺衣装で、言選衣装で、いろんなcroudy ironyがあって愛しく眺めていた。1曲1曲でそんな思いを馳せていて、9Fのステージは見ているようで見ていなかったんだと思う。記憶の中の、その曲を見つめていた。

決定的にその頃の、30分間の本気よりも今の1時間以上歌って踊り続けて疲弊しているはずの彼女たちのほうがパフォーマンス能力が上だった。好きな曲たちを、上達した彼女たちが演じている状態で観られて嬉しかった。screenもremoveもbedも、こうして大きなステージで聞くことができて嬉しかった。ミキティ本物のつけた儀式のような踊りが本当に大好きだとわかった。

 

思うと、前半パートは踊りも歌も楽曲の音の厚みもホール会場に映えていた。後半の曲群はライブハウスに合わせられたような音と踊りだったのかもしれない。後半パートのほうの記憶の厚みがある分思い入れが強いけれどどちらも好きだった。

 

最後のライブみたいだった。

 

でも最後のライブではなかった。

まだ次があるということの安堵もあり、ただ軌跡を愛おしく感じれる素晴らしい9Fだったと振り返ることができるのだろう。

 

404 を見届けなければならない。

 

”見届る”ことは非常に特別なことだ。シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を心待ちにしながらも見ることができずにこの世を去っていった人が一体何人いたことだろう。好きな作品を最後まで見ることができたことは、何よりも幸せなことだ。

 

もちろん404が最終公演だなんて誰もいっていない。

しかし私は何があってSolitudeHOTELを、見届けなければならない。

そして、メゾンブックガールを。

 

わたしのメゾンブックガールは殺されても死なない