おもちやけた

orokanaburogu

下弦、雨(18.3.9)

金曜日 1週間が終わった 意識はほぼない

朝がきて音楽やラジオを聴きながら眉間に皺を寄せた人々と身体を寄せ合うのに心かよわない 電車の中で会う人たちの表情はその場でしか見られないくらい当人だけが不快そうな顔をしていて、時に他の人間を物のように扱う 自分もそうなっているのだろうか おそらく普段しかめ面をしているだろう私は電車の中では出来るだけ穏やかな表情にするようにしている 誰の為でもなく自分に気を遣っている

このことに関連するつぶやきを見た 自分の知人が電車で豹変する人であるかもしれないことが悲しい、というような内容 優しいような人もみんな電車では豹変しているのだろうか  わたしが人として好きになる人間たちはそんなことがないと信じている 思い込む 私の親はめちゃくちゃに醜くなってしまう

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いつもダメな時に限って刺される いや、ダメだから刺されただけか

この一月はそれをわかって自衛していたんだな 、なのに急に大丈夫な気がして抑えを払って刺されにいってしまった これまでならここで断絶を選ぶけど大人なんだしそんなことはもうしないでおきたい 思えばいつもほんとに救ってほしいときに救われたことがあっただろうか? そんなの人間に求めることではないことがよくわかる 絶望の崖から救ってくれる人間なんていない わたしは救える人間になってみたかったけどできないことと同様 それに以前にわかって欲しそうな素振りをわかりやすく伝えたこともないくせに

自分が無能であることに嫌気がさしている時期 だからといって有能な人間を遠ざけようとするなどまさに愚か者 そんなことしていたら見上げなくて済む人間としか共に生きられない そんな人間と一緒にいる人たちは、ああこいつは自分のこと見下しているんだなと思うだろう そんな意識はなくてもそういうことになるのだから 根本には常にいじめっ子とおなじ精神 下を可愛がり、上に来そうなものをひきずりおろす可哀想な自信のなさ

本質がわかってない

違うんだ、今ちょうどダメな時期なだけなんだ そんな時期があること自体がおかしいしこんな時期来ないで済むようになりたい

 

やっぱり、無能であることを逆手に取って楽しんでやろうと思って楽しんでいても、奥底には常に才能ある人間になりたかった、なにかの生みの親になりたい、と思っている

数少ない身の回りの友人たちは、何かを生み出して表現をしていて、常にその素晴らしさを感じている それが無くても彼ら彼女らの言葉を選ぶ感性や切り取り方が好きであるのに、更にそれを通じて表現を行えるなんて 好きであると同時に眩しく、自分が見えないものにボコボコにされてヒザをついているときには眩んで後ろに倒されてしまう そして急に自分がその世界に混じることにおかしく感じる

生み出す人に神聖さを感じていてもその人も1人の人間で、精神をすり減らしながら産んだものをただの劣等感を手に持ってあなたはいいですねなんて殴ることや中身を覗いて磨り潰すなんて愚の極みだよ

余命が3年でも余命があと40年でも大した差は無い気がしてピンと来ない その時間をこうして首を降りながら小さい板の下のを指先で触っているだけなんだから 勿体無い?勿体無くないことはなに?

自分が口で話す内容は脳みその別の場所から流されているようでとても嫌いだ 1人でいるときに1人で思うことしか本当じゃない

大人はわかってくれない、と思ったことは無い気がする 忘れてしまっただけかもしれないけど 、大人はわかってくれないんじゃなくて、誰もわかってくれないと思ったことの方が強く憶えている なにもわかってくれないから子供が嫌いでクラスメイトも全員嫌いで学校も嫌いでそれをわからない大人も嫌いだっただけ 今はそんなことないよ 嫌いじゃない わからないことは普通 自分も何もわからないから

 

タモリさんも鶴瓶さんもいつかは死んでしまうということは受け入れられない

晴れたらいいのに 青い色が好きなのに