天下一品の日2017(17.10.1)
天下一品祭り2017
今年はとしまえん感のある神田店にて
スタンダードにこってり並
無料券にたかっているわけじゃない、祭なんだよ祀 無料券がもらえなくてもいくんだから もらえた方がいいけど
開店時間11時に着くと、初回入店+40人程のウェイティング しかし驚異の回転率につき30分で着席 麺硬くスープも味薄だけどそれもまた一興 祭だから
2010 渋谷店→水道橋店
2011 渋谷店→高田馬場店
2012 (欠)高田馬場店断念、べんてんへ
2013 池尻店→駒沢店
2014 五反田店→目黒店
2015 池尻店→池袋店
2016 江古田店→神楽坂店
2017 神田店→?
→チケット使用店舗
懐かしい、導入は渋谷店だなあ
池尻、江古田、高田馬場、歌舞伎町、駒沢、五反田、神田、池袋、高円寺、神楽坂、水道橋、渋谷、新宿西口、目黒、田町(既訪) 意外と東京16/29しか行っていない、リピが多いんだよね、赤坂と八王子いきたい
江古田・池尻のお店の感じが好き、神楽坂・水道橋みたいな本店感も好き あまりにもひどい店舗、三店舗くらいあるのよね、ツウぶってるとかというよりもあれを初めて食べた人が天下一品嫌いになるようなオペレーションは憤慨
難波ウィンズ前店はキラキラ、そして総本店は最高に感動だった 数年に一度は伺いたいもの
レトロゲーム店スーパーポテトへ 色んなレトロゲームがあってゲームだけしたとしても死ぬまでに全部のゲームはできないし、外食しまくってもこの世の飲食店を制覇できないし、この世を堪能するには1人が何人いればいいのかわからない 三半規管と脳が弱いのであまりゲームはしないけど ゲームがしたい 何かやりたい
ぷよぷよ運以外で連鎖できなかった パズムゲーム大好きだけど上達しないしする気もさらさらない 向上心が生まれることがほぼない
ゲームといえば駄菓子なの?
前日の中野ブロードウェイに引き続き色んなアイドルの生写真をにいった 小学生のときハロオタで全財産を生写真とブロマイドにつぎ込んでいてほかの同級生より量を凌駕して愛を誇示して満足していたことを思い出した 人の根本って変わらないんだよね自分の愛の強さを他者に軽んじて見られると嫌味なことして反撃しだすところとか変えられないんだろう 仲良くしろよな 気を付けないとすぐにそう そんなに想いのないものなら見過ごせるはずだけど自分の核の一部に対してされると危ないから、だから隠したくなる 自分のコアを剥き出しだなんて危ないでしょう 。ソウルジェムは割られないようにきちんと硬いもので包んでおきなよマミさん
色んな記憶がつきまとうフクロウカフェに行った フクロウは鳥っぽい中でも例外に好きだと思っていたので快諾して行ったけれどやっぱり苦手かも知れないと思ったのは無駄な記憶のせいだろうか 気を遣わないでいいよ いつもごめんね
その後、東京ゲームバーへ行った ゲーム機でゲームをするお店
http://gamebar-tokyo.com/price
64ヨッシーストーリーで15体くらいヨッシーをあやめてしまったし、全然クリアできない ゲームをするとすぐに画面酔いしてしまって吐き気がすごからあんまりできないんだよな、と思い出す ダメージを受けた時の画面の揺れで三半規管がちょっとずつ狂わされていくんだろう 大学生のとき、なんとなく付き合っていた人間の家で泊まり込みで1人でずっと64やっていたのを思い出した 64をやるのが楽しいから入り浸っていただけだったのかもしれない 高校生のとき複数人でボードゲームをやるのが夢で、ワイワイボードゲームしているゲーム実況動画を見ながら笑いつつ泣いていた すごろく系のゲームが本当に好き だから今でもボードゲームが大好きで、人生ゲームや桃鉄は買ったけどあまり人とできる機会はない 一人暮らしをしたい ボードゲーム好きの友人が持ってきてくれてお店や会議室で全くしらないボードゲームをしている時間は本当に幸せを感じた ここまで芯から楽しんでるの私だけだと思った
夜はキングオブコント2017
気合いを入れてずっと食べたくて食べてなかったサブウェイを買って帰った ちょうど5年前にやめたサブウェイ 流石にバイトも全員入れ替わったから行けた 店員は、全部ゴチャゴチャカスタムしやがってうぜえなという顔をしていた すごくわかるよわかる、うざいよね!と思って最後の最後にホットペッパーを控えてしまったら思った味とちがくなってしまった
これもワイワイと色々言いながらみたいなあと思った それが醍醐味な気がするんだ 来年はわざわざ募って集いたいな 終了後お笑い好きの人と用ついでにラインで色々言い合って楽しかったし、やっぱり結局都合よく同意のできる人と話しているのが心地がいい 趣味や想いごとに気の合う人とそれぞれ人付き合いを重ねたい
自己の記憶に対する愛のことを自己愛だとは思っていないけれど愛がある分には変わりない ただの素っ裸な自己の記憶を晒し続けるような変態行為かも知れないと思うけれど、知らないどこかで生きている人に見られることは楽しいこと 黙って見ている知り合いがいるかも知れないと思うことは常に誰かに監視されていると思う病気と同じだろうか?